奥の細道
松尾芭蕉
象潟
象潟
酒田滞在中に芭蕉は日本海沿いに北上し、象潟(きさかた)を訪ねました。その頃の象潟は、湾になっていて、多数の島が点在していました。松島と並び称される景勝地でした。
19世紀初めの地震で土地が隆起してしまい、現在は陸地になってしまっています。
芭蕉は舟に乗って平安時代の歌人能因(のういん)が3年間隠棲したという伝説のある能因島や、西行(さいぎょう)が歌に詠んだと言われる桜の老木を見物します。
芭蕉は『おくのほそ道』では松島と比較し、松島は笑っているような明るさのある美人、象潟は憂いに沈んでいる美女と例え、次の句を載せています。
象潟や雨に西施(せいし)がねぶの花
象潟で咲いていた雨に濡れたねぶ(「ねむのき」とも。合歓)の花を、中国春秋時代の美女で西施が眠っているさまに例えました。「ねぶ」は「眠る」と音を掛けています。
西施はあまりにも美しく、顔をしかめていてもそれを他の女性がこぞって真似たと言われます。「顰(ひそみ、しかめっ面をすること)にならう」という日本語の慣用句はここから来ています。