松尾芭蕉
山寺
「信あれば」発句短冊 松永貞徳 筆 江戸時代前期(17世紀) 1面 山寺芭蕉記念館蔵
「信あれば」発句短冊 松永貞徳 筆
江戸時代前期(17世紀) 1面 山寺芭蕉記念館蔵
信あれば是も飛梅のきどく哉 貞徳
句の意味は「この神社(大宰府天満宮にいまでも大勢の人が訪れているのは、まつられている菅原道真を慕って京都から九州まで飛んできたという飛梅の霊験(奇特)のおかげであることよ」
この短冊は京都で和歌・俳諧の宗匠をしていた松永貞徳の句です。
貞徳は当時公家(貴族のこと)、武士の間でたしなまれていた和歌、連歌を庶民でも作れるよう、俗語(日常的な言葉)で分かりやすく作る「俳諧の連歌」(俳諧は「滑稽」の意味)の井伊を普及させました。書にも優れ、一時は豊臣秀吉の右筆(手紙などを代書する役)もつとめました。
俳諧の指導につとめ、多くの弟子を育てます。一門は「貞門」と呼ばれました。芭蕉の俳諧の先生であった北村季吟もその一人です。