松尾芭蕉
山寺
「去来宛書簡等貼交幅」 松尾芭蕉ほか筆 江戸時代 1幅 山寺芭蕉記念館蔵
「去来宛書簡等貼交幅」 松尾芭蕉ほか筆
江戸時代 1幅 山寺芭蕉記念館蔵
芭蕉とその周辺の俳人の資料を貼り交ぜた掛け軸で、これだけの資料を集めた製作者の見識の高さを伺わせます。
右上の芭蕉の書簡(手紙)は、門人向井去来に宛てたもので、儒医(儒学者と医師を兼業する人)であった去来の兄に知人が入門を希望しているので、去来に取りもってくれるように依頼する内容です。
その左に芭蕉の門人其角と路通の色紙(和歌や俳句を記すのにも使う)があります。
軸の中央には『甲路記』が貼られています。これは森川許六筆になる紀行文です。江戸から甲州(現在の山梨県)に出発する際の心境を述べたものです。その右側に去来・杉風・露沾の短冊があります。
『甲路記』下にも野坡ら門人の資料が貼られています。
そして左端上には芭蕉が蕉風確立以前に相次いで属した2つの流派のリーダーの句の短冊が貼られています。「延陀丸」は貞門の松永貞徳、「梅翁」は談林派の西山宗因)です。
また、その下に2句書かれた「切紙」が貼られています。この作者は俳号を「露沾」と称した磐城平(現在の福島県いわき市)藩主内藤義泰の二男の義英です。芭蕉と親しく交際しました。